2025/07/08 02:09

七月七日、夜の狐秋桜堂。  

空には雨の名残が漂い、笹の葉が音もなく揺れていた。


夜杜は、屋根裏から古い紙束を引っ張り出していた。  

それは「星譜(せいふ)」――かつて星座を音楽で記すために描かれた五線譜である。


「七夕とはね、天の川の両岸で、“ふたりの旋律”がようやく重なる夜だ。  

 一年のうち、ほんの数小節だけの合奏。  

 それも、音程がずれていたらすれ違ってしまう。  

だから、誰かが“調律”をしなければならない。

 ……その役が、ぼくなんだよ。」


夜杜は「星読み飴」をひと粒、缶から取り出した。  


金平糖に似た結晶のような飴で、舌の上で星のように弾ける甘さ。

“音になり損ねた願い”の味だという。


彼は笹の短冊を一枚、そっと手に取った。  

「願いごとはね、まだ楽譜に書かれていない未来の旋律さ。  

 今日だけは、それを仮譜として音にしてもいい。」


そう言って、五線譜の余白に、

織姫の主旋律を――弦のようにたゆたいながら、  

彦星のバッキングを――低く、けれど真っ直ぐに記していく。


すると、狐秋桜堂の古ピアノが、誰の手もないのにぽろんと鳴った。  


♬ポロロン……願いが、音になった瞬間。


夜杜は短冊をそっと五線譜の隙間にしまいながらつぶやく。


「願いとは、“一度きりのセッション”みたいなものだ。  

  成就しなくても、音になった時点で――それはもう、美しいんだよ」


その夜、狐秋桜堂の上空には、星のように細かな音符たちがまたたいていた。  

誰かの願いが、そのなかで旋律になろうとしていたのかもしれない。