2025/08/15 21:37
狐秋桜堂の音楽室には、今宵も静かな旋律が漂っていた。
壁に掛けられた古い楽譜がふと震え、音符たちがひそひそと話し始める。
「ねえ、夜杜さん。今日は盆踊りの日なんでしょう?」
五線譜の隙間から顔を覗かせたト音記号が、シルクハットの紳士に問いかける。
「そうだね。亡き人を迎え、共に踊る夜。日本の夏の風物詩だよ」
夜杜はジャケットの内ポケットから飴缶を取り出す。蓋を開けると、ほのかに甘いスイカ味の飴がひとつ、彼の気分にぴたりと寄り添って現れた。
「盆踊りって、どうして踊るの?」
今度は古い三味線がぽつりと尋ねる。
夜杜は飴を口に含みながら、ゆっくりと語り始めた。
「元々は、仏教の『盂蘭盆会(うらぼんえ)』が由来だ。亡者の苦しみを救うために供養をする行事だった。踊りは、念仏を唱えながら踊る『念仏踊り』が始まりとされている。やがて、地域ごとの風習と結びついて、今のような盆踊りになったんだよ」
音楽室の空気が、どこか懐かしい調べに包まれる。
すると、旅の行商人エルム・ヴァレリアが持ち込んだ一枚の楽譜が、ふわりと宙に舞った。
「また厄介な精霊が宿ってるな……」
夜杜は眉をひそめるが、飴の甘さに気を取り直し、楽譜をそっと演奏台に置いた。
すると、音楽室の床がきらきらと光り、音符たちが輪になって踊り始めた。
ト音記号が跳ね、休符がくるりと回り、三味線の弦が盆踊りのリズムを奏でる。
夜杜は静かにピアノの前に座り、指先で音を紡ぐ。
その旋律は、遠い記憶の中の夏の夜、提灯の灯りの下で踊る人々の姿を思い起こさせた。
「踊ることで、亡き人と心を通わせる。音楽もまた、そういう力を持っているのさ」
夜杜はそう言って、もうひとつ飴を取り出す。
今度は、懐かしい梅味だった。
音楽室の仲間たちは、夜が更けるまで踊り続けた。
それは、音楽と記憶が織りなす、静かで温かな盆の夜の物語だった。

