2025/10/29 00:18

狐秋桜堂の音楽室。  
秋の夜、譜面台の上に一枚の楽譜が広げられていた。  
それは、ラヴェルの《ボレロ》。  
そして今宵、音楽室では“ボレロ会議”が開かれていた。

「まずは私から始めさせていただこうかしら」  
フルートが、すっと背筋を伸ばして言った。  
「この曲の幕開けを飾るのは、私。あの繊細な旋律、まさに私のためにあるようなものよ」

「ふん、だがその旋律を艶やかに染め上げるのは、我々クラリネットの役目だ」  
「いやいや、オーボエ・ダモーレの哀愁を忘れてもらっては困る」  
「バスーンの低音があってこそ、全体が引き締まるのだ」

楽器たちの主張は止まらない。  
トランペットが高らかに言い放つ。  
「中盤の盛り上がり、あれは我々の華だ。観客の心を掴むのは、金管の咆哮だろう?」

「……ふむ」  
夜杜は、シルクハットの影から飴缶を取り出す。  
今夜の味は「焦がしキャラメルと黒胡椒」。  
甘さの奥に、ぴりりとした刺激が走る。

「皆、それぞれに見せ場がある。だが、忘れてはならぬ存在がいるだろう?」

その言葉に、音楽室の隅で黙っていたスネアドラムが、ぽつりと口を開いた。  
「……我々リズム隊は、最初から最後まで、同じリズムを刻み続ける」  
「変化も、休みも、許されない。だが、それが“ボレロ”という魔法の根幹だ」

「そうだ」  
コントラバスが低く唸る。  
「我らが揺るがぬ地盤となって、旋律たちが舞う。誰かが主役ではない。全員が、同じ円を描いているのだ」

そのとき、音楽室の片隅で、ひとつの音符が手を挙げた。  
それは、ひとつの「休符」。

「……私のことも、忘れないでください」  
「私は、音の間にある“間”です。  
 私があるからこそ、旋律は呼吸し、リズムは生きるのです」

楽器たちは、しんと静まり返った。  
夜杜さんは、ゆっくりと頷く。

「《ボレロ》は、誰かの独奏ではない。  
 音と音の間、拍と拍の間、  
 すべてが織りなす“ひとつの舞踏”なのだよ」

その言葉に、シンバルがそっと立ち上がる。  
「……そして、最後の一撃が、すべてを解き放つ」

音楽室に、静かな拍手が広がった。  
それは、誰が主役かを決めるためではなく、  
すべての音と沈黙に、等しく敬意を表すための拍手だった。